武蔵・相模の小野神社

寺院・神社

東京多摩地区から厚木市にかけて小野神社と号する神社が4社あります。

多摩川を挟んで南岸に多摩市一ノ宮の小野神社、北岸に府中市住吉町の小野神社が鎮座、どちらか(或いは両社)が、かつて武蔵国の一宮だったといわれ、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている「多磨郡小野神社」にも比定されています。
そして、多摩市一ノ宮の小野神社から南へ6kmほどの町田市小野路町に小野神社があります。

上記3社は、いずれも旧多磨郡内にありますが、残る1社は、町田市小野路町からさらに南へ20kmほど離れ、武蔵国境を越えた(旧相模国の)厚木市にあります。
この厚木市の小野神社ですが、相模国愛甲郡小野郷の小野神社で、延喜式神名帳にも「愛甲郡一座小野神社」と記載されている由緒ある神社です。

厚木市小野小野神社

厚木市小野の小野神社

いずれも小野妹子の子孫で、征夷副将軍や東国の国司を歴任した小野氏の駐在・領有との関わりから祀られたものとも思われます。(横浜市栄区には、小野妹子に縁起を持つ光明寺(横浜市栄区上郷町)もありますが、いつ頃より小野氏が武蔵国・相模国との関わりが深くなったのかは定かではありません)

小野神社は、その後分祀による増加はなかったようですが、小野氏の子孫はその後も武蔵国・相模国との深い関わりを持ち、武蔵国司小野孝泰は相模原相原八幡宮を創建、武蔵守小野隆泰は元横山町に八幡八雲神社を延長2年(924)創建したといい、小野照崎神社や、高田馬場諏訪神社などは、小野篁にまつわる伝承を残しています。
その後、小野氏の子孫は、八王子の横山党や児玉郡の猪俣党などとして土着していきます。

大和朝廷との強いパイプを持つ小野氏に関わる神社だったからこそ、延喜式神名帳に小野神社が2社記載され、また武蔵国の一宮となっていたというのも確かなことなのかもしれません。

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