シアワセがいっぱい!? 厄徐長寿の「鳥追観音」

投稿者: | 2019年8月29日

ひとむかし前に「PPK(ピンピンコロリ)」という言葉がはやりましたね。人に迷惑をかけずにあっさり死にたいという、なんとも日本人的な潔いお話でした。会津には、中田観音、立木観音、鳥追観音の三観音を廻ってお参りすれば、悪い心が消え去り、病にかかわることなく大往生できるという「ころり観音」があります。ただし、PPKは突然死も連想させるものなのですが、こちらの「ころり」は長寿全うでありますから、お間違いのないように。

さて、今回はその「ころり観音」の一つ「鳥追観音」へやって参りました。ところは西会津町。この町はその名のとおり、会津地方の西に位置し、お隣の新潟県と接しています。

日本遺産鳥追観音

会津の寺社は人の賑わいとは離れていることが多いのですが、鳥追観音はさすがの知名度があって参拝客もしっかりいらっしゃいました。「ころり観音」ということで、家庭円満を願ってか、三世代のご家族連れもちらほら。

皆さん、お参りも「さる」ことながら気になっているのが「隠れ猿」探し。名工、左甚五郎作で「かくれ猿」「のがれ猿」「暮し猿」の三猿の彫刻が観音堂にあり、お参りしてこの猿達を探し出すことができれば、「福ま「さる」」そうです。ご利益はこんなところにもありますよ。

けれども、「暮し猿」を見つけることは至難の業で、多くの方が見上げたままの困り顔です。私は福まさるのご利益は断念して、ネットでカンニング。確かにこれを自力で探すのはたいへんですが、皆さんは真似しないでがんばってみてください!(三猿の写真はブログの最後の方に載せていますので興味のある方はどうぞ)

ちなみに三猿と聞けば、日光東照宮の「みざる、いわざる、きかざる」が有名ですが、これも左甚五郎のもので、彼は他の寺社でも数多くの作品を残しているいわれていますね。

さて話を戻しますと、この鳥追観音堂は、大同2年(807)、京都の興福寺で修行し、東国で布教をつとめた僧徳一が建立した金剛山如法寺のお堂です。ご尊像の歴史はさらに古く、天平8年(736)、行基が農夫に授けられたことに由来しています。

この観音堂、三方開きというめずらしい造りで、東から登ってお堂に入り北のご本尊にお参りして西に出ることで、現世(東)から来世(西)へ向かうという意味合いがあるそうですね。しかも磐梯山の麓に慧日寺を建てた徳一は、会津の西へ「会津西方浄土」として如法寺を建てたとか。彼は会津を京都のごとく仏国の土としたかったのでしょうか。今の世では、京都はもちろん寺院の地として有名ですが、比して会津がそれほど全国的に知られていないのが残念です。徳一さん、ごめんなさい。

また、観音堂を出てはす向かいには、雪かき用のロータリー車、ラッセル車が東京新橋のSL車さながらに、とはいえ都会の喧噪とは無縁に、どんと置いてあります。なんでも、これらの電車が展示してあるのは、全国でもこの西会津町と北海道しかないとのこと。電車好きの方は要チェックですね。

雪かき用のロータリー車、ラッセル車

恒例の食事は、近くの「観音茶屋」で。手打ち十割そばを炉端のそばでいただきました。会津産のそば粉で、まずは基本のざるそばを。次回はもうちょっとお腹をすかせて定食といきたいです。

観音茶屋の手打ち十割そば

※このブログは、会津若松市在住の知人からの寄稿です

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