居眠り磐音江戸草紙(02)寒雷ノ坂

第一章寒風新宿追分

太宗寺-P15

あの木戸口から下町、中町、上町と、東西九丁十間、南北一丁たらずが新宿です。中町に太宗寺があるんですが、

太宗寺は、1596年頃(慶長年間)甲州街道の道筋に「太宗」と称する僧の庵室と開創。徳川家重臣・内藤正勝の信望を得て、寄進を受け太宗寺と改称。江戸六地蔵の3番地蔵、江戸三閻魔の閻魔王像、新宿山之手七福神の布袋尊。
太宗寺|新宿区新宿にある浄土宗の寺院

天竜寺-P19

天竜寺門前の茶屋で使い走りをしていたよ。〜天竜寺のめいぶつは明和四年(一七六七)に笠間藩主が寄進した時の鐘で、甲州街道谷保村の鋳物師孫兵衛が造った、江戸の三名鐘の一つであった。

天龍寺は、新宿区新宿にある曹洞宗の寺院。小田原最勝寺五世の春屋宗能和尚を開山、戸塚忠春とその娘の西郷の局を開基として牛込に創建。天和3年(1683)牛込の火事で類焼、当地へ移転。当寺を菩提寺としていた牧野備後神成貞の寄進により鐘が寄進され、内藤新宿に時刻を告げる「時の鐘」として明治維新まで利用されました。当寺のある新宿は江戸城から遠く登城に時間がかかるため、江戸には八ヶ所ある時の鐘のうち当寺の時の鐘のみ、朝四半刻(30分)早く鐘をうっていたといい、新宿で遊興していた人々を追出す鐘とともなっていたため、「追出しの鐘」として頗る評判が悪かったともいう。
天龍寺|新宿区新宿にある曹洞宗の寺院

地蔵院-P23

太宗寺の末寺、地蔵院で開帳する賭場の権利を巡って争っているからだ。

地蔵院は廃寺

熊野十二社-P24

そこで、熊野十二社で怪しげな道場を開く。

熊野十二社は、新宿区西新宿にある現熊野神社。応永年間(1394-1428)中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷の熊野三山より若一王子宮を勧請して創建したと伝承。応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを勧請、十二所権現とも熊野社とも呼ばれたという。
熊野神社|新宿区西新宿の神社、十二所権現、鈴木九郎の創建

三光院-P59

そこでふた月前から笹塚様が着任なされて、三光院の離れに独り拠点を構えられた。

三光院は廃寺。

子安稲荷-P66

食売旅籠甲州屋を見渡せる子安稲荷の境内に寒さを堪えて待っていた。

不詳

第二章東広小路賭矢-P79

富岡八幡宮-P88

川向こうでだいぶ評判が立っているらしく、富岡八幡宮か東広小路にやつらが稼ぎ場所を移してくるという噂が立ちまして、

富岡八幡宮は、永代寺の長盛法印が寛永4年(1627)当時永代島と呼ばれていた現在地に創建した神社。深川の鎮守として崇敬厚い神社。
富岡八幡宮|深川の八幡さま、深川七福神の恵比寿神

西本願寺-P145

隠居の円也のつてで、西本願寺の社地にある末寺に潜んでおる。

西本願寺は、現在の築地本願寺(西本願寺東京別院)
築地本願寺|中央区築地にある浄土真宗本願寺派の寺院

第三章柳橋出会茶屋-P151

善福寺-P176

品川宿は最初、目黒川を境に北品川と南品川の二つに分かれていた。が、宿場の規模が大きくなるにつれ、新たに善福寺門前町と品川新町を合わせた歩行新宿が加わり、三宿でそれぞれ宿場の機能を分担することになっていた。

善福寺は、永仁2年(1294)に創立した品川区北品川にある時宗の寺院。
善福寺|品川区北品川にある時宗の寺院

愛宕権現社-P181

新下谷町は品川宿からの帰り道にあった。愛宕権現社の裏手、大名屋敷や旗本屋敷の多い西久保通りに車坂町と混在した小さな町内だ

愛宕権現社は、港区愛宕にある現愛宕神社。徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受けて創建。
愛宕神社|港区愛宕にある神社

湯島天神・喜見院-P190

が、無警戒なおきくが足を止めたのは、湯島天神別当の喜見院前の花屋だ。

湯島天神は、文京区湯島にある湯島天満宮。正平10年(1355)2月郷民が菅公の御偉徳を慕って創建。別当寺の喜見院は廃寺。
湯島天満宮|文京区湯島の神社、湯島天神、府社

八幡社-P211

男は浅草橋の方に上がると蔵前御蔵通りに曲がった。〜男は無警戒に浅草瓦町の方角へ左に折れた。〜「この先に八幡社がある」

ここの八幡宮は、台東区蔵前にある蔵前神社(旧岩清水八幡宮)。元禄6年(1694)石清水八幡宮として建立。昭和22年に隣接の荷神社と相殿・北野天満宮とを合祀し蔵前神社と改称
藏前神社|台東区蔵前の神社

第四章広尾原枯尾花-P226

宗善寺-P286

坂崎磐音一人に千両を持参させ、麻布村宗善寺を来訪の事。

不詳。

第五章蒼月富士見坂-P297

海蔵寺-P329

日光街道追分の先にある海蔵寺が、豊後関前藩の菩提寺であった。

海蔵寺は、文京区向丘にある曹洞宗の寺院。

神田明神-P332

神田明神は江戸では古い神社の一つだ。創建は聖武帝の天平二年(七三〇)と言われる。主神は大己貴命。神田明神の秋祭は、山王祭は、根津権現の祭礼と合わせて江戸の三大祭りといわれ、

神田明神は、天平2年(730)武蔵国豊島郡芝崎村(現千代田区大手町)に創建、延慶2年(1309)には平将門公が合祀され、太田道灌・北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬された神社。元和2年(1616)に江戸城の表鬼門にあたる現在地に遷座し、江戸総鎮守として崇敬厚い神社。
神田神社|千代田区外神田の神社、江戸総鎮守、神田明神

永久寺-P350

永久寺三十三間堂に夜九つ、泥亀

永久寺は廃寺。